小栗虫太郎 『黒死館殺人事件』より

 聖(セント)アレキセイ寺院の殺人事件に法水が解決を公表しなかったので、そろそろ迷宮入りの噂が立ちはじめた十日目のこと、その日から捜査関係の主脳部は、ラザレフ殺害者の追求を放棄しなければならなくなった。と云うのは、四百年の昔から纏綿(てんめん)としていて、臼杵耶蘇会神学林(うすきジェスイットセミナリオ)以来の神聖家族と云われる降矢木の館に、突如真黒い風みたいな毒殺者の彷徨(ほうこう)が始まったからであった。

(略)

その日――一月二十八日の朝。生来あまり健康でない法水は、あの霙(みぞれ)の払暁に起った事件の疲労から、全然恢復(かいふく)するまでになっていなかった。それなので、訪れた支倉検事から殺人という話を聴くと、ああまたか――という風な厭な顔をしたが、
「ところが法水君、それが降矢木家なんだよ。しかも、第一提琴(ヴァイオリン)奏者のグレーテ・ダンネベルグ夫人が毒殺されたのだ」




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